女神のブログ

14年前に女神に憑霊された時の事をブログに書きます。 エヴァとハルヒのビジョンを女神から見せられました。日月神示に僕の名が・・・

前田慶次(まえだけいじ)の生涯を綴ります。

前田慶次(まえだけいじ)の生涯を綴ります。

転載開始 https://www.touken-world.jp/tips/64494/
・1541年。1歳。誕生。実父については、滝川一益(たきがわいちます/かずます)の従弟と伝えられる滝川益氏(たきがわますうじ)とする説がある。前田利春(まえだとしはる)の長男・前田利久(まえだとしひさ)に、養子として迎えられる。
・1569年。29歳。織田信長の命により、前田利久が弟・前田利家前田慶次にとって義理の叔父にあたる)に、前田家の家督を譲る。これにより、養父・前田利久と共に、荒子城(あらこじょう:愛知県名古屋市中川区)を出る。
・1581年。41歳。熱田神宮名古屋市熱田区)に太刀を奉納する。
・1582年。42歳。前田利家に仕える。このとき、前田利久と共に、7,000石の知行を与えられる。
・1584年。44歳。小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてのたたかい)が勃発。一連の合戦のひとつ、末森城の戦い(すえもりじょうのたたかい)では、佐々成政(さっさなりまさ)の猛攻を巧みな戦術でかわす。
・1588年。48歳。上杉家臣・木戸元斎(きどげんさい)主催の連歌会に出席。
・1590年。50歳。豊臣秀吉小田原征伐に、前田利家に付き従って出陣。そのあと、前田家を出奔(しゅっぽん:逃げ出して行方を分からなくすること)する。
・1598年。58歳。越後国(現在の新潟県)から陸奥国会津(現在の福島県西部)120万石に移封となった上杉景勝に仕える。前田慶次がその家臣を務めるようになった時期は、この年から、関ヶ原の戦いが勃発した1600年(慶長5年)の間であったと見られている。
上杉景勝が召し抱えた浪人集団「組外衆」(くみそとしゅう)における筆頭の座に就き、1,000石を与えられる。
・1600年。60歳。「北の関ヶ原」と称される慶長出羽合戦(けいちょうでわかっせん)では、上杉景勝軍(西軍)に従軍し、長谷堂城の戦い(はせどうじょうのたたかい)などで武功を挙げる。関ヶ原の戦いで西軍が破れたことを知った直江兼続(なおえかねつぐ)が自害しようとした際に、これを諌めている。長谷堂城(現在の山形県山形市)の撤退戦では殿(しんがり:後退する軍列の最後尾に位置し、敵からの追撃を防ぐ部隊)を務め、最上・伊達連合軍(東軍)の追手をはねのける。
・1601年。61歳。上洛し、徳川家康に拝謁。京都の伏見から米沢へ下向する際のできごとを、後世に「前田慶次道中日記」と称される日記に残す。
・1612年。72歳。隠棲生活を送っていた米沢付近の堂森にて死去。

以上です。