女神のブログ

14年前に女神に憑霊された時の事をブログに書きます。 エヴァとハルヒのビジョンを女神から見せられました。日月神示に僕の名が・・・

西郷隆盛の生涯

西郷隆盛の生涯を紹介します。

転載開始 https://www.pict-history.com/series/05041takamori.html
・文政10年(1828)。0歳:12月7日(1828.01.23)。薩摩藩の下級武士、西郷吉兵衛隆盛とマサの長男として誕生
・幼少〜少年期。6歳から儒学を習い始め、8歳ころから藩校の造士館に通い始める。11歳頃:同じ郷中の上級武士と喧嘩
この時、右ひじの神経を切ってしまい、剣術で身を立てることを諦め、学問に集中する。
嘉永 3年(1850)。22歳:島津斉彬が藩主に就任。須賀と結婚
安政元年(1854)。26歳:須賀と離縁。中小姓に任ぜられて、斉彬の江戸参府に随行する。
安政 5年(1858)。30歳:島津斉彬が急逝
安政 6年(1859)。31歳:奄美大島にて再婚。
龍家(もと田畑家)の一族、佐栄志の娘・とま(愛加那)と再婚、翌年には長子(西郷菊次郎)が誕生
文久 2年(1862)。34歳:赦免〜再び遠流
島津久光とともに上京をすることになったが、ここで西郷は「下関に留まれ」という久光の命令を無視。独断で京都に軍を率いて上京したことから再び、徳之島、沖永良部島へと流罪となる。
・元治元年(1864)。36歳:鹿児島へ帰還
薩摩藩はもともと公武合体論をすすめており、それがいきづまってくると尊王思想へと考えを改めていく。そんな折、勤王派として知られていた西郷隆盛が再び赦されて召還されることとなる。大久保一蔵(利通)や小松帯刀らの勧めもあったという。
・7月23日(1864.08.24):第一次長州征討の命が下る
西郷は大坂で勝海舟と出会い、長州に対して強硬策をやめて緩和策へと方針を転換したと言われる。
・慶応 2年(1866)。38歳。1月21日(1866.03.07):薩長同盟なる
小松帯刀邸で長州藩桂小五郎薩長提携六ヶ条を密約。坂本龍馬がその提携書に裏書きをした。
・慶応 3年(1867)。39歳。10月14日(1867.11.09):大政奉還。江戸時代が終焉し、明治時代がはじまる
・明治 4年(1871)。43歳:留守政府。岩倉使節団の欧米歴訪中、留守政府を預かり、多くの政策を実現する。
・明治 6年(1873)。45歳:明治六年の政変
征韓論をめぐり、岩倉使節団随行していた木戸孝允大久保利通らと対立し、参議を辞任。鹿児島へ下野する
・明治 7年(1874)。46歳:私学校設立
・明治 9年(1876)。48歳:各地で士族の反乱が相次ぐ
明治10年(1877)。49歳:西南戦争
明治10年(1877)。【挙兵】
明治10年(1877)。【熊本鎮台(熊本城)包囲戦】。19日:熊本城焼失
明治10年(1877)。【田原坂の戦い
明治10年(1877)。西南戦争最後の戦い。官軍は山縣有朋中将を頂点とする70000の戦力。薩軍は兵卒合わせ370人だったという。
22日:城山決死の檄。薩軍は西郷とともに最後まで戦うことを決意。
24日:西南戦争終結西郷隆盛自決。官軍による総攻撃で、西郷自身も被弾、負傷。盟友の別府晋介に、 「晋どん、ここらでよかろう」 と言い、切腹別府晋介介錯によって死亡。
7か月に及んだ西南戦争は国内最大にして最後の内戦で、両軍の戦死者は1万3千人という壮絶なものとなった。

以上です。