女神のブログ

14年前に女神に憑霊された時の事をブログに書きます。 エヴァとハルヒのビジョンを女神から見せられました。日月神示に僕の名が・・・

ウォルト・ディズニーの成り立ちを知る

ウォルト・ディズニーについて、まとめました。
転載開始 https://castel.jp/p/2064

・1901年、ウォルト・ディズニー(本名:ウォルター・イライアス・ディズニー)は、アメリカ・イリノイ州シカゴで生まれました。
・母は教師、父は貨物鉄道会社ユニオン・パシフィックの鉄道員でした。
特に鉄道を生業とするの影響により、ウォルトは幼少期から大の鉄道好きだったそうです。
ウォルト・ディズニーは、19歳で初となるアニメーション作品『ニューマン劇場のお笑い漫画』を手がけました。
・1923年、22歳となったウォルト・ディズニーは、兄のロイとともに「ディズニー・カンパニー」を立ち上げ、『アリス・コメディ』や『オズワルド』などのアニメーションを製作します。
・1928年になると、ウォルト・ディズニーはオズワルドに代わるディズニーキャラクターを考案します。
・1932年に入ると、世界で初となるフルカラーアニメーション『花と木』がアカデミー賞を受賞します。
・さらに、1940年に公開された「ファンタジア」という作品の公開に際し、世界で初めて「ステレオ音響」による上映が行われました。
・ディズニーランドの開発は、なんと15年以上の長い年月がかかりました。
そして、1955年7月18日、ついにウォルトの念願であった世界初のディズニーランド「カリフォルニア ディズニーランド・リゾート」がオープンしたのです。
・そんな影響力が絶大なウォルト・ディズニー
彼の原動力として強く残る格言があります。


“All our dreams can come true, if we have the courage to pursue them. I only hope that we don’t lose sight of one thing – that it was all started by a mouse.”

(夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。いつだって忘れないでほしい。すべては1匹のねずみから始まったということを。)
「夢は実現できる」という言葉。

ウォルト・ディズニーは第2のパークの完成を見ることなく、1966年肺がんにより65歳という若さで亡くなりました。

以上です。参考になりましたか?