日月神示にある通り、食物と異性が喜びらしい。
それを極めれば良い(幸せになれる)と言う事になる。
あとは日月神示をよく読んで噛みしめると言う事だ。
日月神示にすべてが書いてある。
それをよく読んで噛みしめて実践する事だ。
そうすれば、幸せになれるだろう。
次には、神との交わりとある。
神と交われば幸せになれるであろう。
絶対の幸せだ。
はじめの喜びは食物ぞ。
次は異性ぞ。
いずれも大きな驚きであろうがな。
これは和すことによって起こるのぞ。
とけ合うことによって喜びとなるのじゃ。
喜びは神じゃ。
和さねば苦となるぞ。
悲しみとなるぞ。
まず自分と自分と和合せよと申してあろうが。
そこにこそ神の御おんはたらきあるのじゃ。
じゃがこれは外の喜び、肉体の喜びぞ。
元の喜びは霊の食物を食うことぞ。
その大きな喜びを与えてあるのに、なぜ手を出さんのじゃ。
その喜び、驚きをなぜに求めんのじゃ。
なぜに神示ふでを食べないのか。
見るばかりではミにつかんぞ。
よく噛かみしめて味わいて喜びとせんのじゃ。
喜びが神であるぞ。
次には神との交わりぞ。
交流ぞ。
和ぞ。
そこには かつて知らざりし驚きと大歓喜が生まれるぞ。
神との結婚による絶対の大歓喜あるのじゃ。
神が霊となり花婿はなむことなるのじゃ。
人民は花嫁はなよめとなるのじゃ。