女神のブログ

14年前に女神に憑霊された時の事をブログに書きます。 エヴァとハルヒのビジョンを女神から見せられました。日月神示に僕の名が・・・

松下幸之助の生涯

松下幸之助の生涯を調べましたので書いてみたいと思います。

転載開始 https://nihonshimuseum.com/matsushita-konosuke/#google_vignette

松下幸之助は1894年、和歌山県海草郡和佐村(現在の和歌山市)で、父の松下政楠(まさくす)と母のとく枝の三男として生まれました。
・しかし幸之助が5歳の頃、父・政楠が米相場で負債を抱え、松下家は破産してしまいます。一家揃って和歌山市本町に転居し下駄屋をはじめますが、やがてその下駄屋も経営が立ち行かなくなり、幸之助は尋常小学校を4年で退学、家計を助けるために丁稚奉公に出されます。
・9歳でまず宮田火鉢店、ついで五代自転車に丁稚奉公した幸之助。その頃の仕事には、よくお客さんの小間使いとして煙草の買い出しに行かされたそうです。
・幸之助は16歳(1910年)頃、大阪電灯(現在の関西電力)に入社しています。その由来となったのは、1903年に大阪に開通した大阪市営電気鉄道でした。また、1913年には関西商工学校夜間部予科に入学し、電気関係の学問に没頭する事になります。
・1914年には井植むめのと結婚。またその弟となる井植歳男は共に会社を立ち上げる関係であり、後に三洋電機を設立した人物です。
・その後も幸之助の事業はアタッチメントプラグや二灯用差込みプラグが立て続けにヒットし、1918年の松下電気器具製作所の創業に繋がります。
・その後も松下電器産業の経営を続けた幸之助は1973年に現役を引退、1989年には94歳でなくなります。その遺産は2450億円という、日本史史上最高額だったと言われています。
・こうした幸之助のエネルギーとなったのが、座右の銘である「青春とは心の若さである」という言葉でした。70歳のとき、人からアメリカの詩人サミュエル・ウルマンの詩「青春」を教えられ、それを覚えやすいように次のように要約しています。


「青春とは心の若さである。
信念と希望にあふれ、勇気にみちて、
日に新たな活動を続けるかぎり、
青春は永遠にその人のものである。」

・おそらく、幸之助は余生というものに思いをいたすことさえなかったに違いありません。この座右の銘の言葉通り、94年の人生全てが、彼にとって青春だったのでしょう。

以上です。まとめてみました。