女神のブログ

14年前に女神に憑霊された時の事をブログに書きます。 エヴァとハルヒのビジョンを女神から見せられました。日月神示に僕の名が・・・

マホメットの成り立ち

今日は、イエスキリストの成り立ちを紹介した。
次はマホメットムハンマド)の成り立ちを書こうと思う。
用意はいいだろうか?

転載開始 https://turkish.jp/turkey/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E9%A0%90%E8%A8%80%E8%80%85/
ムハンマドは、イエス・キリストのような“神の子”として誕生したわけではなく、商人として暮らしていた40歳のときに突然、天使ガブリエルによる啓示を受けたことをきっかけに預言者として神からのメッセージを人々へ伝えていくことを決意し、イスラム教を創始します。
*注意*ムハンマドが神から伝えられた言葉を、信者が記憶または書き留め、死後20年ほど経ってから一冊の書物としてまとめたのが、イスラム教の聖典コーラン」です。
ムハンマドは570年頃(日付不明)に、父アブドゥッラーと母アーミナの子として、今やイスラム教最大の聖地である「メッカ(Mecca)」(現在のサウジアラビアの都市)で誕生しました。
ムハンマドが25歳のとき、同じ商人として成功をしていた未亡人の女商人ハディージャという女性が、真面目で優しいムハンマドの人柄に惹かれムハンマドに結婚を申し込みます。ムハンマドはそれを受け入れハディージャと結婚します。ハディージャは3度目の結婚、ムハンマドは初婚でした。やがて2男4女をもうけ、商売も成功し、ムハンマドは幸福な家庭を築いていきます。
・40歳ぐらいからムハンマドはメッカ社会の現状を憂いて、しばしメッカ郊外のヒラー山の洞窟に籠り瞑想するようになります。そして610年のある夜、40歳のムハンマドに突然の転機が訪れます。
いつものように洞窟で瞑想をするムハンマドの前に突然天使ガブリエル(アラビア語ではジブリール)が現れ、神の啓示を伝えたのです。その時に伝えられた啓示はコーラン第96章の1節から5節に下記の内容で記されています。

誦め、「創造なされる御方、あなたの主の御名において。
一凝血から、人間を創られた。」
誦め、「あなたの主は、最高の尊貴であられ、
筆によって(書くことを)教えられた御方。
人間に未知なることを教えられた御方である。」

・異常体験に恐怖したムハンマドは急いで山を下り、妻ハディージャにこの事を伝えます。ハディージャムハンマドの誠実な人柄を知っていたため、その日に起きた出来事を信じます。そして、ハディージャのいとこのキリスト教徒に諭されると、自分が預言者であることを自覚し、神(アッラー)の言葉を人々に伝えることを決意します。
・最初の3年間は親類や友人のみに、神の教えを説いていました。その頃の信者は30人程度だったと言われています。
ムハンマドは教育を受ける機会がなかったので、読み書きができませんでした。ところが、ムハンマドの説く教えは詩のように美しかったのです。当時、詩人はアラブ世界では尊敬されていて、美しい詩を作れることは才能のひとつだと考えられていました。読み書きができないムハンマドが、ありえないほど美しい言葉で語ったため、人々は本当にムハンマドが神から言葉を預かってきたのだと考えるようになったのです。
・619年頃になると、叔父のアブー・ターリブと妻ハディージャを相次いで亡くします。この2人の死をきっかけに、メッカでのクライシュ族の迫害は過熱し、このような状況下でムハンマドは、信徒集団全体でのメッカからの逃亡を決意します。
ムハンマドは70人余りの信者たちをメディナに移住させた後、ムハンマド自身もアブー・バクル(後の初代正統カリフ)と共にメディナに移住します。
・初期のメッカで布教活動を行っていた時期は、ムハンマドたちは平和的な布教しかおこなわず、迫害にも耐えるのみでしたが、メディナへ移住した頃になると、下記などの異教徒に対する聖戦(ジハード)を許容する啓示が下ります。

「まことに信仰する者、そして移住し、神の道でする者、それらの者は神の御慈悲を期待できよう」(コーラン第2章218節)

・これにより、ムハンマドは自ら兵を率いてメッカの多神教徒勢力を戦うことを決意し、その結果行われた最初の大規模な戦闘が624年の「バドルの戦い」でした。
・そして630年には、ムハンマドは1万の大軍を率いてメッカに向かいました。
・632年、ムハンマドはメッカへの“大巡礼”を行います。このとき、ムハンマド自らの指導によってイスラム教の五行である「信仰告白シャハーダ)」・「礼拝(サラート)」・「断食(サウム)」・「喜捨(ザカート)」・「巡礼(ハッジ)」が定められました。

メッカへの大巡礼を終えメディナに戻るとムハンマドは病に倒れます。
そして632年6月8日、アラビア半島から異教徒を追放するように、自分の死後もコーランに従うようにと遺言を残して、メディナの自宅で亡くなりました。およそ62年間の生涯でした。
・632年に自宅で亡くなったムハンマドは、その場所で埋葬されました。ムハンマドの墓は現在では「預言者のモスク」の一部となっており、南東の角のモスクで唯一緑色をしているドームの下にあります。
説教壇とムハンマドの墓の間にあるエリアは、楽園の庭園の1つである「ローダ・アッシュ・シャリファ(高貴な庭園)」として知られ、ここで唱えた祈りは“受け入れられないことはない”とされています。
ムハンマドは生涯に12~13人の妻を持ったと伝えられています。生涯独身であったイエスや、妻子を捨てて出家したブッダとは違い、ムハンマドは家庭人であり続けました。
ムハンマドは632年にその生涯を閉じますが、それは同時に神からの啓示の終結を意味します。最後の預言者ムハンマドの言葉が書かれたコーランは神からの最後の啓示とされています。

預言者ムハンマドの妻たちを紹介します。
・最初の妻|ハディージャ
・最愛の妻|アーイシャ

以上です。
自分なりにまとめたつもりでしたが、大丈夫だったでしょうか?